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高校時代、僕の部屋の窓から見えていたのは、隣りの棟のアパート。聞こえていたのは、一家団欒の声。高校の教室の窓から見えたのは、運動場、サッカーゴール。
「いったい世界では何が起こっているのだろう?」
そんな平和な毎日であるがゆえ、僕は逆に、どこかしら不安、憂鬱をおぼえたり、焦燥感にかられたりした。高校生の自分の生活の窓からは決して見ることの出来ない風景を見たくて見たくてしょうがなかった。知識も行動力も伴わなかった自分は、いつかその籠から出て行くのを夢見るようになっていた。そして、高校卒業後、その窓から抜け出して東京へ出た。今では、熊本に生まれ、過ごした時間より離れてからの時間のほうが長くなってしまった。しかし、そこに何か置き忘れたものがあるような気がしてならない。その想いが今回の映画のテーマだ。
今回のドラマの主軸である「純粋」というものは、恋愛においていつまでも甘美な思いを醸しだしてくれるが、,一旦なにかの不実、矛盾に思えることに出会うと、反転し、形を変え、まるでその想いと反比例するかのように人々を混乱や破滅に導いてしまうことがある。純粋というテーマの物語を作るうえで、単なる純愛ものとするのではなく、その裏返しの人間像も描いてみたいと思った。それで、僕は、今回ラストで主人公に思い切って故郷にいたときの僕の平凡な生活ではめくることのできなかったページを敢えてめくらせてみた。悶々として故郷をあとにした自分とは違う人生の一歩を歩ませてみた。市電内の対立の構図は、今の地球上の縮図でもあると思う。ある一方の国でメリークリスマスを謳歌するとき、別の一方の国では餓死する子供がいる、そこに傲慢や憎しみが生みだされてくる。また、その状況に無力な国、自分もある。この普遍的に続く悲しみの連鎖をその縮図として故郷で描くことは、賛否両論あることと思う。しかし、僕はそうすることで、自分の故郷へのあふれる想いを精一杯捧げたいと思っている。地球上の大きな問題は同じ星に生きている限り平和な都市にも明らかに影を落としているのだと。
県民参加に関しては、ジョン・カサベテスが初めての作品のとき自分の友人の俳優達で撮ったようになにか面白いことは出来ないかと思った。故郷で撮るのであればその土地での言葉を操れる人が一番、それも言葉を演技的に再構築してない人がその空気感を体現してもらえるのではないかと思い、地元の素人の人達にも告知してオーディションを行った。一般の人の中にも人生の中で演技という表現を欲し、そのささやかな自由を必要としている人が必ず存在する、そう信じての決断だった。
もちろん、商業映画である。その他の要素のギャップを埋めるべく多く稽古はした。それは、約2ヶ月に及び、結果は上々だったと思う。とはいえ、2ヶ月しかしなかったとも言え、オーディションで選ばれた人たちには相当な無理を課した。また撮影中も天候にめぐまれなかったせいもあり、かなり苦しい想いをしたと思う。また、見守ってくださっていた多くの県民の皆さんも、気を揉まれたことと推察している。しかし、これもよりよい作品を作るための産みの苦しみとご理解いただき、この場を借りてお詫び申し上げたい。
ともあれ、映画は完成した。今回のこの試みが多くの人の共感を呼ぶことが出来たら有難いと思う。 |
山田 武 |
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